皆さん、こんにちは!今年度より学生広報部に入部いたしました、1年生の落合結萌です。
私にとって初となる今回の記事は、広報部の名物企画「わくわく!先生へのインタビュー!」です。インタビューに応じてくださった先生は、今年度(2025年度)より嘉悦大学へ着任され、私のICT2(WordやPowerPointなどの使い方を学ぶ情報系の必修科目)を受け持つ増山一光先生です! 多岐に渡る経歴と様々な趣味を持つ増山先生に、10の質問を行いました。
それでは、インタビューはじまります!
増山先生:情報教育と情報セキュリティという分野が専門です。情報教育では、情報技術全般に関する教育実践と研究をしています。具体的には、情報理論、プログラム、アプリケーション製作、情報モラルなどですね。さらにAIやメタバースなどの新しい技術が登場したらそれらについても取り扱っています。情報セキュリティは、ネットワークセキュリティを専門にしていて、現在は情報セキュリティとAIの関わりについて研究しています。博士課程の頃には高校生に向けた情報セキュリティ教育を実践して研究しました。
増山先生:今期(4月~8月)にやっているのは、ICT1(情報リテラシーやExcelの使い方を学ぶ必修科目)とICT2、それと研究会の3種類ですね。やってみたいのは、情報セキュリティの授業、それとネットワークの授業とかプログラミングとかですね。情報系の授業はなんでもできます(笑)
落合:研究会では主にどんなことをやっているんですか?
増山先生:サイバーセキュリティをやっています。例としては、2012年にPC遠隔操作事件っていう、パソコンがコンピューターウイルスに感染して遠隔操作されちゃう事件があってね。当時誤認逮捕とか色々あってえらいことになったんだけど、そういう事件を取り上げて「なぜそんなことが起きたんだろう?」っていう研究を学生と一緒にしています。
増山先生:情報セキュリティを勉強しようと思ったのは、商業高校の教員をしていた頃のある出来事がきっかけでした。2000年ぐらいだったかな。その頃に高校のパソコン200台全部がコンピューターウイルスに感染したんですよ。別にその当時のコンピューターウイルスっていうのは、今みたいにお金が欲しいから感染させるという目的じゃなくて「俺はこんなに力があるんだ」っていう、ウイルスをつくった人間のある種の腕自慢でやってたのが多かったんですね。ただそれで、パソコンを元に戻すのに2、3日ぐらいかかったのかな。その出来事がきっかけで「ああ、これは勉強しなきゃいけない」って思ったんですよね。そしたら、土曜に授業をやってたり、夜遅くまで授業をやってる大学院を見つけて。それで高校の教員をやりながら大学院に行ってました。今思うとなんと無茶をしてるのか(笑)
落合:商業高校の教員をしながら、大学院に行っていたんですね。大学でも情報セキュリティについて学んでいたんですか?
増山:いや、大学は商学部で文系だったんだよね。でも、プログラミングは教えてもらったね。
落合:そうなると大学院に進学された際、文系だった大学時代とのギャップは少なかったんですね。
増山先生:全然ないですね。大学院でのゼミはネットワーク関連を学んでいて、内容は理系でした。その頃に自分が書いた博士論文は、情報をどう教えるべきかっていう内容だったんだけど、この情報セキュリティ教育っていう分野は2012年頃の日本だとまだあまり進んでいなかった先進的な分野ではあったので、そのおかげで博士課程を3年で終わらせることができたっていう事実もあるかな。
増山先生:小学生の頃は絵を描くのが好きだったからアーティストになりたかったかな。当時は漫画が流行っていた影響もあって、絵を描くのが好きだったね。
落合:どんな漫画が流行っていたんですか?
増山先生:宇宙戦艦ヤマトとか、銀河鉄道999とか、あとはルパン三世とか。要するにアニメが全盛だった頃なんだろうね。今は絵を描くわけじゃないんだけど、何気なく美術館に行ったりはしますね。
増山先生:特技じゃないんだけど、趣味はいっぱいあって。山登りとか、映画鑑賞とか、献血も趣味だね。
増山先生:あとはCPUとか買ってきて、コンピューターを組み立てるのも趣味かもしれないね。一個ずつ部品を全部買ってきて組み立てて。家族から「変なお父さんがいる」って言われながら(笑)
落合:情報を扱うだけでなく、コンピューター本体を組み立てることもしているんですね!
増山先生:最近は、その組み立てたコンピューターでインディ・ジョーンズのゲームをやってるね。ハマっちゃうからゲームはあんまり好きじゃないんだけど(笑) 「1日15分だな」って制限を決めて。
落合:珍しい理由で好きじゃないんですね(笑)
増山先生:大学生の頃、20歳までは気を失うように遊んだね。本当にバカなんじゃないの?っていうぐらい(笑)でも「このままじゃヤバい」と思って、3年生から真面目に教職課程を取りはじめました。その教職課程を取り始めるきっかけになったのが、近所の障がいを持ってる子でね。その子に電車の乗り方とか色々教えているなかで「なんでお兄ちゃんは先生にならないんですか?」って聞かれたことがあって、それでちょっとやってみようかなと思ったの。その後、新卒で神奈川県の高校に入ってからはずっと教育現場にいますね。持ってる教員免許は、高校商業、中高数学、中高社会、情報、あと特別支援学校の7つあります。
落合:そんなに沢山の教員免許をお持ちなんですね! ちなみに大学院はどうでしたか?
増山先生:大学院はね、はなから真剣だったよね。やっぱり自分のお金を使ってるし、ましてや家族もいるからね。修士課程は授業へかなり出なきゃいけなかったから、大変だったかな。その後の博士課程ももちろん大変だったけど、これは自分との戦いだから。基本的にはもう研究なので。
増山先生:大学生時代の話じゃないけど、自分の人生の中で結構ショックだったのは高校生時代のケガかな。小学1年生から高校までずっとラグビーをやってたんだけど、高校1年生のときに腰の骨を割る大けがをしてね。手術はせずに自然治癒したんだけど、その頃、太宰治の小説を食い入るように読んでいてね(笑)それがきっかけで大学生の頃に青空文庫(著作権が切れた作品を公開している電子図書館)の工作員やってたのよ。
落合:工作員ですか?
増山先生:そうそう。文字を打つ人。目の見えない子とか耳の聞こえない子をサポートしていければっていう思いもあってね。まあ、そのケガが一番大きな失敗かな。大学時代は楽しい感じでしたね。
増山先生:海外旅行に行きたいかな。学生時代はとにかくお金がなかったから国内旅行ばっかりで海外に行けなかったんだよ。ましてや湾岸戦争とかもあったからね。あとは、本当のことを言うと理系に行きたかったんだよね。だけど自分は色盲で色の判別が難しくて、工学系のものづくりとか技術系とかを諦めてたの。そういうこともあって、理系に行ってみたかったかな。
落合:先天的な遺伝の理由で違う道を選んだからこそ、情報を専門にしている今の増山先生がいるんですね。
増山先生:足元にあるチャンスを拾い上げる学生生活を送ってほしいなって思います。僕の人生を振り返ってみると、今に向かうこの道筋を作ったのは学生時代だったなって思うのね。大学ってところは手を抜こうと思えばいくらでも抜けるのよ(笑) だから、無理して病気になるほどまで頑張れとは言わないけど、チャンスは意外と転がっているのでつかみに行ってほしいと思いますね。あとは、年長者からの色んなアドバイスには、とりあえず聞く耳を持ったほうがいいかな。それを実行する、しないは任せるけど、人の話を聞くっていうのは大事かもしれないね。
今回は「わくわく!先生へのインタビュー!」として増山先生にお話を伺いました!
実はこのインタビュー、2時間に及ぶ長ロングインタビューだったのですが、増山先生の様々な経歴や趣味のお話を聞いているとあっという間に過ぎてしまい、まだまだ深堀したかったことや泣く泣くカットせざるを得なかった話がたくさんあります(恐竜検定を取った話や、JICAのプロジェクトでタンザニアに行った話など…)。
嘉悦学生の皆さんも増山先生に声をかけたら、ここでは書ききれなかった面白い話がもっと聞けるかもしれません!
オープンキャンパスの模擬授業を担当されることもあるので、この記事を読んでくれた高校生の方々もぜひ講義を受けてみてはいかがでしょうか?
インタビューにご協力していただいた増山先生、そしてここまで読んでいただいた皆様、ありがとうございました。
次回の記事もお楽しみに!
文責:学生広報部 落合 結萌(経営経済学部1年)