学校法人 嘉悦学園

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建学の精神

怒るな働け

本学園創立者である嘉悦孝は、慶応3年熊本に生まれ成立学舎に学んだ。その間、明治維新の先覚者横井小楠先生の高弟であった父氏房からその実学思想を教え込まれた。孝は当時、一般の女子教育がややもすれば実社会とかけはなれた、いわゆる深窓令嬢の遊芸的教育、あるいは西欧文明の単なる模倣に終わりがちな傾向を憂い、明治36年10月女子の実業教育の社会的必要性に応え我国最古の歴史をもつ女子商業教育校「私立女子商業学校」を創立したのである。

校訓「怒るな働け」は実学思想を基礎とし、個人的処世術にとどまらず、横井小楠先生が渡米する甥に送別の辞として贈った「堯舜孔子の道を明らかにし、西洋器械の術を尽せば、何ぞ富國に止まらんや、何くんぞ強兵に止まらんや。大義を四海に布くのみ。心に逆らうこと有るも人を尤むること勿れ。人を尤むれば徳を損こなう。為さんと欲する所有るも心に正にする勿れ。心に正にすれば事を破る。君子の道は身を脩むるに在り。」という抱負から発したものである。「怒るな」は人間の和、さらには平和を、「働け」は人間社会に欠くことのできない財の生産を意味する世界観、人生観で、世界平和を窮極の目的とした一大金言であって、本学園の伝統をもっとも端的に表現した深遠の哲理であるといえよう。

創立者の希求したものは、この校訓を基本精神とした婦人の経済的自立能力の養成および社会的地位の向上であった。すなわち家庭婦人は一家の経営担当者であり、豊かな家庭を築くには高度な経済知識は欠かせないものであるとの信念から、豊かな教養と高い経済知識を備えて実社会に役立つ女性の指導者を養成し、社会の発展に貢献しようとした。
これが本学創立の意図となっている。

『怒るな働け』の心は・・・林 望

林 望 写真

林 望 (はやしのぞむ)

1949年生。作家・国文学者。慶應義塾大学院博士課程修了。ケンブリッジ大学客員教授、東京藝術大学助教授等を歴任。『イギリスはおいしい』で日本エッセイストクラブ賞、『ケンブリッジ大学所蔵和漢古書総合目録』で国際交流奨励賞等受賞。古典論、エッセイ、小説の他、歌曲等の詩作、能楽、料理書等、著書多数。『謹訳源氏物語』(全十巻)で第67回毎日出版文化賞特別賞受賞。

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 大正デモクラシーの時代になると、嘉悦孝のような考え方は、旧弊思想だと見做されていたらしい。
 なにぶんとも、『怒るな働け』に「女性ぢよせい矢張やはり女大学風おんなだいがくふうそだてられた女性ぢよせいでなければなりません」とあったりして、現代から見ても、それはかなり古めかしい感じに受け取る人が多いのもやむを得ない。
 一方で、慶応義塾の福澤諭吉は、つとに男女の平等を唱導して『女大学』の如き女訓書を完膚無きまでにやっつけていたのだから、同じ明治の教育家としては、一見正反対の立ち位置にあったように見える。
 しかしながら、この両極端の教育家が、不思議に一致して提唱している点が一つある。すなわち、女性が計数実学に暗くてはいけない、なかんずく経済という方面に実力を涵養かんようしなくては、新時代の女性のあるべき姿として望ましくないと主張していることである。
 どんな思想も「時代」ということを無視しては成り立ち得ない。孝は、明治維新期の殖産興業、富国強兵の時代思潮のまっただ中に人となった。この時代相のなかで、苦学力行くがくりきこうの人孝は「花よりも実」を取るために、有能で役に立つ女性を育てたい、それにはどうしたらいいかと考えたに違いない。そして男が、どんな人格であるにせよ、女がひたすらに実直に、孜々ししとしておのれの務めを果たし、家庭を立派に経営してごうも揺るがぬ手腕を示したならば、畢竟ひっきょうそれは女性の価値を高からしめ、ついには男子をして刮目かつもくせしめるであろうと、こういう論法であったように思惟しゆいされる。なんでも男に盲従して泣き寝入りせよ、などという旧思想を祖述そじゅつしているのでは決してないことに、私どもはよく注意しなくてはならぬ。
 明治から大正という時代には、男は外で働き、女は内を守る、というのが日本人の「当たり前」であった。そこから、やっと少しばかり「職業婦人」というものが出現してきたくらいのところであった当時、家事といっても電化製品があるでなし、子供の数は五人も八人もあって、その家事と育児だけでも、こんにちの主婦とは比較のしようもないくらい多岐にわたる超重労働であったし、それをきちんとこなそうと思えば、外で働く余裕などは無かったと見るのが当然である。
 そういう時代相のなかで孝は、であるならば、まずなんとしても「合理的」に家事を遂行すいこうし、また夫が働いて得た金を、決して不条理な浪費をせぬように、予算を立て、簿記式の家計帳をつけ、質素倹約して貯蓄に努め、そうして一家を立派に経営していく「経営者的手腕」ある女性こそが、ほんとうに新時代の女であると、そういう意識だったのであろうと思われる。
 そのためには、過剰な化粧や服飾などを避け、菜食を主として身体壮健なるを図り、たくましく聡明な婦人たるべきことを提唱しているのである。『怒るな働け』にはまた、たとえば「これからのひとは、けたりゆびふとくなるのをいとふやうでは、なかわたることは出来できません」といい、「あたらしいとか改良かいりやうとかを絶叫ぜつけうする人々ひとびとおほ現代げんだい潮流てうりう女子教育ぢよしけふいくふねうかべて、依然いぜんと『経済思想養成けいざいしさうやうせい』の一大旗だいきかかげまして、末頼母すゑたのもしきのぞみのある淑女しゆくぢよ教育けふいく腐心ふしんし」ともいうのは、まさにこの意識の発露であろう。
 決して旧時代の弱々しく無力無学な女に戻って男に隷属せよなどというのではない。女には女の、その時代のなかでの「最善」の尽くしようがあるはずだ、と孝の主張はそこにこそあるのである。
 ちょうど、明治四十四年には、平塚らいてうが『青鞜せいとう』を創刊し、そこに拠っていわゆる女性解放運動、女権拡張の主張を展開したのであるが、これも一つの時代相であった。そこで論者の女性たちは、男子の専横や国家主義に怒りをぶつけ、家庭内で働くことよりも社会に出て行こうとする女性たちが脚光を浴びていた時代でもあった。また片えには、「カチューシャの唄」の松井須磨子や宝塚少女歌劇など、文字通りモダンなる女性の風潮なども現れてきて、かれこれ、女性のあるべき姿が見失われかねない状況、それを孝は、実学と倫理の力で「女の真価」を分からせようとしたのだと、私は見ている。こぶしを振り上げ、口角こうかく泡を飛ばして百の議論をするよりも、華美に着飾ってモダン女性を気取るよりも、ただ黙々として自らのなすべき仕事をきっちりとこなしていけば、やがて女の真価は誰にも分かるであろう、そこに嘉悦孝の立脚点があった。
 孝は『花より実をとれ』の中で、こうも言っている。
 「なにしろ人間にんげん英気えいきやしなふにははたらくにしたことはありません。はたらけば新陳代謝しんちんたいしやはげしくおこなはれるので、いつもあたらしくなつてくことが出来できます。わたくしはこれからの婦人ふじんにもつとはたらことのぞみたいのであります」
 これは娘として妻として母として、いつも骨身を惜しまず働けという論で、必ずしも職業を持てという意味ではないけれど、しかし、今日から見ても、まことに堂々たる正論と言うほかはない。

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