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学部・大学院

研究科長便り 4回

研究科長便り 第4回
ベトナムの刺繍産業


     研究科長 黒瀬直宏



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  この9月にベトナムの刺繍産業の調査をした。訪ねたのはハノイ市の農村部とハノイ市から車で2時間ほどのニンビン省。ここには伝統的な「刺繍村」がいくつも存在する。

 ベトナムは機械化が遅れ、規格化された大量生産型製品では国際競争力を持てない。だが、一品生産が中心の刺繍製品は機械による量産ができないため、競争力を持ち、輸出産業となっている。刺?産業の中核は日本風にいうならば産元商社で、商品を企画した産元商社からの発注で農村家内工業者が手ないしミシンで製作している。
 産元商社の経営者と農村家内工業者の双方を訪ねた。両者に共通しているのは、「刺繍村」の家庭で育ち子供のころから刺繍を教えられ、彼らにとって刺繍は文化であり生活の一部になっていること。「刺繍が大好きだからやっている」という言葉が何人もの人から聞かれた。

 村の様子だが、ある村では中心地に露店の市があり、野菜、果物のほか、盥にうなぎ、なまず、ドジョウをいれてのんびり売っていた。客を待ちながら刺繍をしている人もいた。通りには家畜の糞が落ちている。家々に門はあるが門扉はなく、案内してくれた経営者は自分の家のように入って行った。日本では失われたこのような村落共同体の中で刺繍が行われている。

 農家では若夫婦がミシン2台で、またある家では一部屋に5人の娘さんが集まって手刺繍をしていた。皆姉妹だった。その家庭の主人に「男は役に立ちそうもないですね」といったところ、そんなことはないと、自らやってみせた。この村では男女関係なく子供の頃から刺繍をやっており、刺繍のできない人はいないそうである。

 ベトナムの刺繍産業は前近代的で、いずれ消滅の運命にあるという見方もありうる。
 しかし、刺繍は単なる産業ではなく、ベトナム人の文化であり、生活である。
 農村家内労働というと貧困のイメージが付きまとう。確かに豊とはいえない。だが工場ではなく、独立して一家で働くという生活の仕方は、現代ではかえって価値を増している気がする。

 とはいえ、現実は厳しい。2008年の金融危機の影響は「刺繍村」にも及んだ。海外バイヤーは刺繍製品の価格を抑えにかかる一方、ドン安で輸入原材料価格は上昇した。このため、産元商社は農家への加工賃をあげられず、若い人の他産業への流出が始まった。「刺繍村」の中でも伝統のあるニンビン省ワンラン村ではかつて村民の90%以上が刺繍に従事していたのに、現在では60~70%に落ちてしまった。ちなみに、1日の加工賃平均は6万ドン、本稿執筆時の為替レートで264円。

 伝統の「刺繍村」にふさわしい品質基準、製法基準を作り、合格したものに地域ブランドの使用を認める。これにより品質を維持し、海外バイヤーに対する取引力もつける。とりあえず、このようなアドバイスをしたが、前途が気がかりだ。



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